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やはり後継者なのか? いまだ謎に包まれた金正恩氏の娘【礒﨑敦仁のコリア・ウオッチング】

 2022年に表舞台へ姿を現した、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の娘。メディア露出の多さに比べその情報は乏しく、名前や年齢、きょうだいの有無など今も謎が多い。周囲の対応ぶりからは彼女が「特別」な存在であることはうかがえ、弾道ミサイル発射実験に立ち会う姿もすっかり定着した感があるのだが、公式には最高指導者の子供であること以上の説明はない。金正恩政権は彼女の存在をどう位置づけようとしているのだろうか。

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  この年末年始、金正恩氏の娘の姿が北朝鮮メディアで立て続けに確認された。12月29日には、日本海に面した元山(ウォンサン)に造成中の葛麻(カルマ)海岸観光地区の視察に出向いた父親に同行。また、元日に開催された慶祝公演では父親と仲むつまじく観覧する姿が報じられた。どちらの場面にも母・李雪主(リ・ソルジュ)氏の姿は見られなかった。

「愛するお子さま」として彼女が初めて表舞台に登場した頃に比べると、その活動の幅は広がりを見せている。2022年11月、ICBM(大陸間弾道ミサイル)発射実験を父親とともに見守ったことについては驚きを持って受け止められ、ミサイルをバックに金正恩氏と手をつないだ画像は日本でも大きく報じられた。

  続いて2023年2月には「お子さま」が閲兵式にも臨席したことから、金正恩氏が軍事力を背景に体制の長期化、永続化を図る意思を示したものとも考えられた。しかし、娘は軍事以外の分野でも登場するようになる。同月には、スポーツ大会の観覧に同席したばかりか、平壌市内での道路建設着工式にも参席した。

紹介の仕方に変化も

 2023年2月の閲兵式の際に初めて「尊敬する」との修飾語が冠されるようになったばかりか、そうそうたる幹部が「尊敬するお子さまを戴(いただ)いて貴賓席に着いた」と報じられた。10代前半にしか見えない彼女が、最高指導者の金正恩氏に準じる存在として扱われていることを示すものであった。北朝鮮中枢部ではもともとそうなのだろうが、それを内外に公表しはじめた背景が気になる。

 24年1月の報道では、「尊敬するお子さまが同行された」との独立した一文が記事に挿入された。それまでは、あくまで金正恩氏の動静を伝えるなかで「お子さまとともに」との一節が加えられていたに過ぎなかったから、この変化は注目に値する。しかも「お子さま」の同行が報じられた後に、内閣総理や金与正(キム・ヨジョン)朝鮮労働党副部長ら幹部の同行についても触れられた。映像を見れば、「お子さま」に対して幹部たちが恭しく接していることが分かる。

 同年3月の報道には「嚮導(きょうどう)の偉大な方々が、党と政府、軍の幹部とともに江東(カンドン)総合温室をご覧になった」とのくだりも見られた。「嚮導」は、先導し案内する役割を意味する言葉だが、「偉大な方々」と複数形で用いられたのは初めてのことであり、それが父娘を指すことは明らかであった。娘が父親に並ぶほどの存在であること、すなわち彼女が「後継者」であることを強く示唆するものであった。8月には金与正氏が、自らのめいである「お子さま」に対して腰を低めて丁重にエスコートする場面も報じられていた。

 その一方で、以前使われた「尊貴なお子さま」「尊敬するお子さま」といった修飾的表現は使われなくなった。北朝鮮メディアで最後に「尊敬するお子さま」への言及があったのは昨年2月のことである。最近は、記事で「お子さま」に言及されないことすら多く、『労働新聞』の掲載写真や朝鮮中央テレビの映像を通して娘の同行、同席を確認することが増えた。

 こうした変化からは、娘の存在をどのように宣伝し、浸透させていくのか、今もなお模索中であることがうかがえる。言い方を変えれば、それだけこの問題が金正恩政権にとって重要かつデリケートな事柄であることをも示唆しているということだ。

メディア露出の一方で

 今年の元日、朝鮮中央テレビで放送された新年祝賀公演の映像の中で、金与正氏が男女2人の子供を連れて会場に入る様子が確認された。男児とは手をつないでおり、おそらく自分の子供たちなのであろう。

 金与正氏の結婚や出産に関して、これまで公式に言及されたことはないが、これらの報道ぶりからは「公開できるものは公開する」という金正恩政権の基本姿勢が見て取れる。 金与正氏の姿が初めて確認されたのは、金正日(キム・ジョンイル)国防委員長の葬儀の時であった。つまり金正恩時代に入ってから、ということだ。その後、金正恩氏の妻も公式化され、「李雪主夫人」と呼ばれるようになった。金与正氏や李雪主氏が初めて姿を現した際には、誰もが驚いたものである。秘密主義が貫かれていた先代の時代に比べて、とりわけ家族のメディア露出に関しては、考えられないほどオープンになったということだ。

 無論そうは言っても、北朝鮮の内部事情が依然としてブラックボックスにあることには変わりない。北朝鮮メディアの論調を追うと、「お子さま」は重要イベントに繰り返し登場することで存在感を高めてきたことが分かる。しかし、その背景については一切の解説が控えられている。

「お子さま」の登場は、北朝鮮の行方を考えるうえで注視せざるを得ない問題であるが、第三国で平壌(ピョンヤン)に近い関係者に事情を聞こうとしても、ロイヤルファミリーについて確実な情報を持っている人物にはたどり着かないばかりか、それを話題にすること自体がタブー視される。「金正日の料理人」として知られた藤本健二氏のように、核心的な証言をもたらす人物も存在しない。出回っているのは、金正恩氏にせいぜい数回会った程度の外国人の証言である。

 電撃的な初登場から既に2年以上が経過しているが、メディア露出の多さにもかかわらず、「お子さま」をめぐっては依然として確度の高い情報がほとんどない。韓国の政府機関やメディアはさまざまな「情報」を発信してきたが、実際には未確認のものも多い。彼らが主張する「ジュエ」という名前ですら、北朝鮮メディアが言及したことはなく、真偽は定かでない。

「娘」にのみ言及した意味

 そんな中、昨年5月に韓国で出版され、ベストセラーにもなった一冊の本は、金正恩氏自身の発言を紹介したものとして大いに関心を集めた。文在寅(ムン・ジェイン)前大統領の回顧録『辺境から中心へ』である。

「自分にも娘がいるが、娘の世代まで核を頭に載せて暮らしたくはない」

 同書では、金正恩氏がこう語った事実が披歴された。独特な言い回しで「非核化」の意思を説明したものだが、「お子さま」問題をめぐる文脈でも、この一言には注目すべきである。南北首脳会談が重ねられた2018年時点で、金正恩氏が「子供」や「息子」ではなく「娘」にのみ言及していた、という証言でもあるからだ。つまり、金正恩氏には男子がいないか、たとえ存在したとしても後継者として表に出すつもりがないことを示唆していたと考えられるのである。

 北朝鮮メディアでの扱われ方から、娘の「お披露目」段階はすでに終わりつつある。儒教的な北朝鮮社会において、女性が最高指導者になることに対する心理的反発もそれなりに和らいだことであろう。だとすれば、次に注目されるのは、より「後継者」としての色彩を強めるような呼称の変化があるのかどうか、権威付けのためのエピソードが宣伝されるかどうか、といった点である。

 藤本健二氏の証言によると、金正日氏は三男の金正恩氏が8歳の時にはすでに後継者候補として意中にあったという。20代半ばで後継者に内定し、父親の死に伴って27歳で「最高領導者」となった。「白頭(ペクトゥ)の血統」「万景台(マンギョンデ)の家門」による統治は既定路線であり、三代世襲による権力継承に異論が浮上する余地はなかったと考えられている。よほどの急変事態が生じない限りは、金正恩氏の子供が四代目を担うことになる。

  現時点での公開情報から考察する限り、筆者には「お子さま」が金正恩氏の後継者であるようにしか見えないのだが、北朝鮮を観察するうえで、われわれが何らかの重大な見誤りをしている可能性は否定できない。そもそも最高指導者に権限が集中している体制であればこそ、一個人の意向によって大きく方針が変わる可能性もある。拙速な断定は避けつつ、先入観を排して観察を続けていく必要があるだろう。

【筆者紹介】
礒﨑 敦仁(いそざき・あつひと)
慶應義塾大学教授(北朝鮮政治)
1975年生まれ。慶應義塾大学商学部中退。韓国・ソウル大学大学院博士課程に留学。在中国日本国大使館専門調査員(北朝鮮担当)、外務省第三国際情報官室専門分析員、警察大学校専門講師、米国・ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロウ・ウィルソンセンター客員研究員を歴任。
著書に「北朝鮮と観光」、共著に「最新版北朝鮮入門」「北朝鮮を解剖する」など。

(2025年2月3日掲載)

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