2025年1月20日、第47代米国大統領に就任したドナルド・トランプ氏は、就任演説で「米国の主権を取り戻し、再び偉大な国になる」と訴え、聴衆を鼓舞した。その大胆な方針は世界を揺るがし、今後の政策の具体的な影響については未知数であるものの、トランプ政権が国内外に大きな影響を与える時代が到来したことは間違いない。
新政権に対する賛否が渦巻く中、本稿では価値判断を避け、移民問題が国内政治の転換や国際構造の変化とどのように関連しているかに焦点を当てる。このテーマは日本の政治経済にも無視できない影響を与える重要課題である。なお、本稿では、「移民」を、難民や庇護申請者、強制移住者、外国人労働者などのカテゴリーを含む、あらゆる(長期)「越境移動者(Migrant)」の一般的な呼称として用いる。
トランプ大統領は、移民政策を優先課題として強調した。就任直後、南部国境で「国家非常事態宣言」を発令し、不法移民の送還、メキシコ領内での拘留、「キャッチ・アンド・リリース」政策(不法移民を拘束した後、裁判手続きまで釈放する慣行)の停止を進めると表明した。さらに、麻薬カルテルを外国テロ組織と認定し、外国人犯罪組織を取り締まる政策を「常識的 (common sense) 措置」と位置づけた。注目すべきは、米国で起こったことが独裁者による政権の奪取ではなく、民主主義的な手続きに基づく特定の政党や政治家への支持拡大であった点である。
なぜ今、移民問題がこれほど重要視されるのか。「極右」や「ポピュリスト」と称される勢力が欧米諸国で支持を集めているが、これは単純に欧米社会が排他的な、また人種差別的な世界になっているということなのだろうか。背景を冷静に分析する必要が生じている。
「普通の人」が損をする構造
これまで移民問題が政治の主要課題とされることは、まれであった。米国ですら、近年まで政治争点化がタブー視されてきた。冷戦下の米国では、共産主義への対抗手段として移民を積極的に受け入れた。一方、欧州や日本では、第二次世界大戦後処理の一環として、移民の受け入れが人道上の義務となっていた歴史がある。
戦後の欧米諸国において、移民は労働力不足を解消する存在として事実上歓迎された。しかし、実際のところ、移民受け入れは「普通の労働者」にとっての利益にはつながらない。キューバ系移民でハーバード大学の経済学者であるジョージ・ボージャスは、「国境の開放による移民の急増は必然的に富の大きな再分配をもたらすが、その内容は見落とされがちである」と指摘し、移民を受け入れた資本家と移民自身には利益がもたらされる一方、移民を受け入れた国の労働者には負の影響があると述べる。
この状況をテキサス大学の政治学者ギャリー・フリーマンは、「集合行為の理論」から説明する。すなわち、資本家や移民を代表する団体の意見は明確で、したがって政治家に届きやすい一方で、多数派である労働者の声は多様であるが故に政治に届きにくい。また、ハーバード大学の政治学者ロバート・ パットナムは、移民が独自の文化や生活習慣を持ち込むことで「社会資本(social capital)」つまり、社会的なネットワークの発展によって醸成される規範や価値が減少し、結果として、移民とネイティブが発展に向かって協調する意欲が失われる危険性を指摘する。
さらに、オックスフォード大学の経済学者ポール・コリアーは、移民の急増が受け入れ社会の文化的均質性を損ない、社会的な緊張を引き起こす可能性があることを指摘した。彼は、移民政策において多様性の管理が不十分な場合、長期的に社会の安定が脅かされるリスクを警告している。コリアーの議論は、多様性がもたらす経済的恩恵と社会的コストのバランスを冷静に考慮することの重要性を示唆している。
以上の問題を踏まえ、筆者が最も深刻だと考えるのは、移民(外国人)の流入がもたらす負の影響について、知識人や政治家、政策担当者が長らく目を背けてきた点である。これまで欧米でも日本でも、「外国人は受け入れ社会にポジティブな影響をもたらす」という主張のみが、いわば「市民権」を得てきた。しかし、外部からの負の影響も当然想定されるにもかかわらず、それを指摘する学者の意見は感情的に批判されるか、無視されるのが常であった。
前述のボージャスは、米国の移民研究において「外国人は擁護されるべき存在」という前提が非中立的な議論を生んでいると批判する。また、多文化社会の不安定さも、もっぱら受け入れ社会の責任とされてきたことに警鐘を鳴らしている。この問題は日本にも根強く、本来別個であるべき「倫理的に望ましい社会の追求」と「社会の発展を阻む要因の冷静な分析」が混同されており、本質的な問題解決につながっていない。
こうした現状を批判する学者は世界的に増えつつあり、筆者はこれを望ましい傾向と考えている。それは、「右傾化」や「極右」「ポピュリスト」の礼賛ではなく、人の越境移動をめぐる(国際)政治の現実主義的理解として定着しつつある。
日本は移民問題にどう向き合うべきか
米国や欧州で起こっている移民規制派の台頭は、不遇な立場に置かれた一般国民の政治的意思の反映とも言えるだろう。これらは、当初は極端な思想を持つ集団として評価され、政治的には無視されてきたが、2000年代以降、フランス、オランダ、ドイツ、スウェーデン、イタリア、ポーランド、ハンガリーその他欧州各国で、また、米国ではトランプ政権以降、「反移民」政治勢力はもはや無視できない存在となった。
移民問題をめぐる世界の変化に対し、日本はどう向き合うべきか。日本は先進国の多くが移民受け入れ後の対応や評価を誤り、移民政策の「失敗」を経験した事実を確認する必要がある。「ゼロサム」ではなく、外国人と国民双方が利益を享受できるポジティブ=サムの政策と、社会発展の観点から移民政策を考察する評価の在り方が求められる。
もちろん、越境移動者の社会統合をめぐっては、労働搾取の問題や差別、偏見に基づく人権侵害を改善するべき課題がいまだ残っているのは疑いのないことである。筆者も、外国人が不当に扱われている状況は問題であると考えている。しかし、筆者は、受け入れ社会の国民についての検討があまりにも長く放置されてきたという事態を非常に深刻なものと捉えている。
日本は、他国の「失敗」事例を教訓にし、独自の外国人政策と評価基準を確立すべきである。現行の政策や戦略によって不利益を被る受け入れ国の一般労働者を救い、受け入れ社会の発展を促す策を新たに講じることこそが、今の日本に必要だと考える。(2025年2月4日掲載)
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岡部みどり
上智大学法学部国際関係法学科教授。外務省専門調査員、国際連合大学アカデミック・プログラム・アソシエイト、ケンブリッジ大学国際関係研究所客員研究員(国際文化会館牛場フェロー)などを経て現職。
この間、オックスフォード大学移民研究所(COMPAS)客員研究員、ジョンズホプキンス大学政治学部客員研究員、衆議院法務委員会参考人(2024年4月26日)、難民審査参与員(2021年~現在)、第8次出入国管理政策懇談会委員(2024年12月~現在)、文部科学省「専修学校の質の保証・向上に関する調査研究協力者会議」委員(2024年12月~現在)、外務省「将来の課題のための日・オーストリア委員会」委員(2016年~2017年)などを歴任。
東京大学文科Ⅲ類入学。同大学院総合文科研究科国際社会科学博士課程修了。博士(学術)。
専門は国際関係論、人の国際移動研究、地域統合(主にEU)研究。
主な著書・論文に、『世界変動と脱EU/超EU:ポスト・コロナ、米中覇権競争下の国際関係』日本経済評論社、2022年(編著);『人の国際移動とEU―地域統合は「国境」をどのように変えるのか?』法律文化社、2016年(編著);「ウクライナ「難民」危機とEU――難民保護のための国際協力は変わるのか?」細谷雄一編『ウクライナ戦争とヨーロッパ』東京大学出版会 (UP Plus)、2023年; “How States React to the International Regime Complexities on Migration: A Study of Cases in South East Asia and Beyond” International Relations of the Asia-Pacific,(21)1, 2021ほか多数。
このほか、日本経済新聞「経済教室」、NHKBS『国際報道』、 NHK『日曜討論』 、BS日テレ『深層NEWS』など新聞・テレビ・ラジオ等にも出演。