通常国会で2025年度当初予算案の審議が始まった。与党が衆院で過半数を割り込む中、野党の対応次第で年度内に成立しない可能性もある。ただ、かつて予算成立が年度をまたぐことは珍しくなかった。過去の事例を振り返ると、政府は予算成立までの「つなぎ」措置となる暫定予算をたびたび編成して対応。予算執行ができない「空白期間」が生じたケースもあった。(時事通信政治部 関惇志)
暫定予算、過去に33回
通常国会は毎年1月に召集される。冒頭で首相の施政方針演説と、それに対する各党の代表質問を実施。その後、おおむね2月に衆院、3月に参院で予算審議が行われ、年度内に成立するのが近年、お決まりのパターンだ。
憲法の衆院優越規定により、予算案は参院送付後30日で自然成立する。直近の9年間は3月2日までに衆院を通過し、年度内成立が確定した中で参院の審議が行われた。
昨年は自民党派閥の裏金事件を受け、野党側が「フィリバスター」(議事妨害)戦術を展開するなど攻勢を掛けたが、結局は3月2日に衆院を通過。年度内成立が確定した。
衆院で与党が過半数に満たない今年の国会は、少なくとも一部の野党が賛成しないと予算成立は見込めない。衆院予算委員長ポストは立憲民主党の安住淳氏が務め、与党は思い通りに審議日程を組むのも困難な状況だ。
予算成立が年度をまたぐ場合、国民生活への影響を避けるために暫定予算が必要となる。編成は戦後33回で、時期は1990年代の8回が最多。当初予算の成立段階で失効する。なお、戦前の大日本帝国憲法下では、予算成立が年度をまたぐと、前年度の予算が使える仕組みになっていた。
当初予算、7月末成立も
直近では安倍内閣の13年と15年。いずれも前年末の衆院解散で予算案の提出がずれ込み、13年は5月20日、15年は4月11日までの暫定予算がそれぞれ組まれた。
その前は旧民主党の野田内閣の12年。衆参両院で多数党が異なる「ねじれ」国会の影響などで、年度内の予算成立に至らなかった。当時の財務相は安住氏だ。
石破内閣と同じく少数与党だった羽田内閣では、94年度当初予算が6月23日にようやく成立。暫定予算の期間が5月20日までだったため、延長措置が取られた。
当初予算の成立が最も遅かったのは、吉田内閣の53年で7月31日。これも含め、7月に成立した事例は3回あった。
直近15年度の暫定予算は、11日間で一般会計の歳出総額が5兆7593億円。地方自治体に年4回配る地方交付税交付金の1回分(2兆9749億円)と社会保障関係費(2兆1562億円)が大半を占めた。計上は必要最低限の経費にとどめ、国会で議論を要する政策経費は避けるのが一般的だ。
4月4日まで支出なし?
予算執行に「空白期間」が生じたケースは過去に17回あった。最も長かったのは89年度。5月20日に暫定予算の期間が経過後、同月27日に当初予算が成立するまでの7日間だ。
こうした状況下で、国民生活に影響はなかったのか。当時の政府説明によると、半ば強引にやりくりしていた形跡がうかがえる。
角田礼次郎内閣法制局長官(当時)は82年4月の国会審議で「予算は成立していないから、国費を支出することは絶対に許されない」としつつも、「現実に国政を運営する立場から、必要最小限度の財務処理を行っているのが偽らない現実の姿だ」と言及。竹下登蔵相(当時)も84年4月に「国庫金の支出によらず正当な方法でないと思われるものもあるのは事実だ」と答弁している。
そもそも、新年度初日の4月1日から必ずしも支出が発生するわけではない。最も早いのは生活保護費や恩給などの支給日に当たる同月5、6日とされる。
竹下首相(当時)は88年4月、国会審議で「慣例上5日まではなんとかやりくりができると前提に置いた議論は、やめてしまうかというと必ずしもそうもいかぬ」と発言。実際に空白期間が生じた17回のうち、4月4日までの「4日間以下」が14回と大半を占める。
とはいえ、空白期間が生じる状況は財政民主主義の観点から適当ではない。91年3月に与野党各党の政策責任者が「1日たりとも予算の空白をつくるべきではない」などと記した合意文書を締結。これ以降、予算の空白期間が生じる事態は起きていない。
(2025年1月31日掲載)